お客様と「洗練されたモノやコト」をつなぐ特別な場所、THE GINZA SELECT。私達がお届けするものは形ある商品や直接体験していただくサービスだけではありません。様々な舞台で活躍される方々の、まさに私達のコンセプトと同じように「洗練されたサービスや技術」を発信し続ける方々の、輝き溢れる言葉や想いの一つ一つが、私達がお客様にお届けしたい「洗練されたモノやコト」と言えます。このコーナーでは、卓越した技術と知識で活躍される、そのようなスペシャリストの皆様にご登場いただき、GINZAに相応しい「想い」、世界に1つだけの「唯一無二の物語」を語っていただきます。
Interview Guest
4th Guest 針生 健二
- 軽井沢蒸留所―1955年の創業から2011年まで浅間山の麓で多くのジャパニーズウイスキーを生み出した名蒸留所です。生産された数々のウイスキーは、その品質の高さから、閉鎖後も国内外のウイスキー愛好家から希少銘柄として愛されています。今回お話をうかがった針生 健二氏は、この軽井沢蒸留所の商品開発のキーパーソンとして活躍されていました。
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針生 健二
KENJI HARIU
1972年、国立東北大学農学部卒業後、 三楽オーシャン株式会社(後メルシャン株式会社に改称)に入社。翌年まで中央研究所で抗腫瘍性物質の探索と構造決定に関わる研究に携わる。1973年軽井沢ディスティラリー(軽井沢蒸留所)に配属、ウィスキー製造ならびに品質向上研究を担う。その後熊本県の八代工場に現場管理の統括、ロジスティクス統括部次いで生産本部兼藤沢工場長兼軽井沢ウイスキー蒸留所長を経て、2011年常務執行役員として退任。
2011年7月、日本合成アルコール株式会社の代表取締役社長として経営を担う。2015年社長退任後は、関連会社の顧問として現在に至る
スペシャル・ポートレート
プロフィール

- 東北大学農学部で医薬にまつわる研究者としての道を志し、卒業後は三楽オーシャン(現メルシャン)で開発責任を担うことに。キャリアのスタートに伴う経緯をうかがいました。
研究者としてのキャリアのスタート
- 針生
- 大学時代はバイオケミストリーの研究に取り組んでいました。キノコの持つ制癌活性力を分析するというものです。当時メルシャンは医薬分野への事業展開を考えていました。そのため就職後も研究部門で大学時代の経験に近い研究に取り組んでいたのですが、突然軽井沢蒸留所への配属が決まったので驚きました(笑)。ただ食品メーカーや飲料メーカーの多くは、研究施設を持ち技術者達が品質向上や安全な商品作りを目指して研究を続けています。昔ながらの酒蔵では、杜氏が経験と勘に基づいて酒造りをしていましたが、科学的な分析の進化により勘に頼らずに高品質な開発が実現したと言えます。
- 穀物や果実を発酵させる日本酒やワイン等の醸造酒よりも工程の多い蒸留酒。原料である麦芽を発酵させその後蒸留、貯蔵を経て完成させるウイスキーは、複雑な工程における些細な変化で味も変わると言われています。人気銘柄を目指して奮闘された日々についてうかがいました。
品質の追求
- 針生
- 軽井沢蒸留所にはトータルで10年弱在籍していました。ここで私が取り組んでいたのは技術者として品質を向上させることです。当時ウイスキーの需要は高く、増産が必要だったのですが、我々の商品はスコッチウイスキーと比べると低い評価を受けていたのでまずは品質改善が不可欠でした。
- ウイスキーの品質に関わる要素の1つが原料です。ウイスキーの原料は大麦が発芽した麦芽ですが、その品種が味に影響します。当時はゴールデンプロミスという品種が主流でしたが、現在はよりアルコール収率(原料からアルコールがどれだけ生成されるかを数値化したもの)の高いトライアンフ系等の品種が使われています。この麦芽を乾燥させるために使用するのがピートです。ピートは植物が長い年月をかけて地中で炭化したもので日本では草炭と呼ばれています。ピートが豊富な地域はスコットランドのような寒冷地に限られています。小説「嵐が丘」(エミリー・ブロンテによる19世紀イギリスの文学作品)で主人公が暮らす寒々しい草原のようなイメージがまさにそれです。このピートの香が後にウイスキーのスモーキーな香として表に出てきます。その強弱は個々のウイスキーによって異なります。この麦芽は日本ではほとんど生産されていないのでスコットランドやフランスから取り寄せ、以降の製造工程に取り掛かります。
- 麦芽はまず細かく砕いてお湯を加えます。この時麦芽に含まれる酵素の働きででんぷんが麦芽糖という糖分に変わります。この作業を糖化と呼びますが、お湯の基になる水の質がウイスキーの品質に大きく影響します。そのため蒸留所の建設には軽井沢のような良い水源を持つ地域が選ばれます。次に取り出した糖分を濾過することで透明な麦汁を作り出します。この麦汁の中に酵母を加えることで、糖分からアルコールを生み出します。この作業から4~5日を経るとアルコール度数7パーセント程の醪(もろみ)と呼ばれる液体が完成します。
- この醪からアルコール度数の高い蒸留酒を作り出すために2回の蒸留を行います。1回目を粗留、2回目を再留と呼びますが、粗留では7パーセント程のアルコールを25パーセント程に、再留では更に高い度数の無色透明のアルコール原酒を作ります。蒸留器にはスワンネックやラインアームというパーツ(加熱された発酵液が蒸気となって通過する場所)があるのですが、この形の違いや向き(ラインアームが上向きか下向きか)によって軽い味わいか重い味わいか等といったウイスキーの印象に影響を与える効果が生まれます。また留出した液体の最初と最後の部分を取り除き樽に振り分ける部分をハートと呼びますが、取り除くタイミング、つまりどの部分をハートとして残すかも味の印象を変える重要な工程です。ちなみにこの蒸留器は銅製なのですが、これには理由があります。原料である麦芽には硫黄成分が含まれています。ステンレス等の窯で蒸留した場合この成分がそのまま出てきて香が悪くなるのですが、銅と接触すると沈殿して落ちていきます。元々スコットランドでウイスキー作りが始まった頃は、加工しやすいという理由で銅製が採用されたのだと思いますが、研究してみると理にかなっていることが分かります。
- 完成した原酒は樽に詰めます。樽にはいつくかの種類がありますが、日本での主流は180リットルのバーボンの空き樽、そのサイズを大きく改修したホグスヘッド、更に大きなサイズのシェリーバットと呼ばれるものがありますが、どの樽を使うかで酒の質が変わります。また年数の経っていない若い樽を使う場合と長い間使用されてきた樽を使う場合でも品質に影響します。
- このように様々な工程を経て完成させるのですが、より良い品質に高めていくために試行錯誤していました。糖化の温度を変えた時、麦とお湯の比率を変えた時、蒸留のカットを変えた時、成分分析をしながら様々なパターンを試していくことで理想の品質に近づけていきました。ただ貯蔵後熟成に必要な数年を経てみないと結果は分からないのが難しいところです。


- 高品質な商品開発の経験を別の開発に生かし、更に部門管理や組織経営の立場につくことになった経緯についてうかがいました。
開発者から管理・経営者へ
- 針生
- 10年弱を軽井沢で過ごした後、熊本県の八代に5年程勤務します。こちらでは焼酎の製造に携わることになりました。ウイスキーとは異なる分野ですが、麦芽と麹カビという原料の違いはあるものの、どちらも蒸留酒なのでウイスキー開発での知識や経験は役立ちました。余談ですがこの時熊本の鑑定官室から優秀杜氏として表彰されました。研究者でありながら杜氏として認めていただけて光栄でした。
- その後は本社でロジスティクスの責任者として物流や生産の統括を経て、最大規模の藤沢工場の工場長と軽井沢蒸留所の所長を兼任しました。この頃メルシャンはキリングループに加わることになるのですが、当時はウイスキーのブームが去って市場規模が小さくなっていたことから、キリンの工場にウイスキーは集約、軽井沢蒸留所は閉鎖することになりました。私個人は現場での管理業務に携わりながら常務執行役員として経営の立場に在りつつ2011年に退任致しました。
- ※以後の経歴については上記参照。
- メルシャンそしてキリングループでの重責を果たした後も経営者という立場でアルコールにまつわる様々な事業に取り組まれていましたが、その原動力となったものは軽井沢でのキャリアにあると思われます。当時を振り返りつつ現在の思いを改めてうかがいました。
- 針生
- 多くの人に愛されるウイスキーを生み出すことを願って奮闘していたことを思い返すと蒸留所の閉鎖が決まった時は残念に思いました。苦労だけでなく楽しい思い出もありましたし。軽井沢では夏になると一般のお客様を対象に工場見学を実施していました。案内役の学生スタッフが設備の説明をするのですが、その後は高級ウイスキーを試飲していただくというイベントです。有名な俳優や映画評論家、駐日大使、更には皇室の方もお見えになりました。多くの貴重なお話もお聞かせいただきました。
- ウイスキー製造は余力のある会社でなければ難しい事業です。樽での貯蔵に5年はかかります。つまり開始から5年間は設備や原料、人材等の費用だけが出ていきます。更によく言われるように「天使の分け前(ウイスキーやワイン等を樽で熟成させる際に、アルコールや水分が蒸発して減る分)」として、10年も経つと半分位は消えてしまいます。このような苦労がありながらも商品が売れなければ製造した原酒は残ります。それは熟成が進むことにもつながるので、売れなかった時期のウイスキーの品質は良いと言えます。
- 閉鎖が決まった当時はウイスキーが下火でしたが、近年はハイボールブームも相まって人気を盛り返してきました。サントリーさんのPR戦略が功を奏したと言えます。ウイスキーは製造に莫大な年月を費やすので数年後を見据えてマーケティング戦略を考えていくことが必須です。そしてこのブームに後押しされたのか、現在126もの蒸留所が国内に存在します。実際に稼働しているのは90程ですが。私が軽井沢にいた頃は5社程度でした。
- ところでプライベートで良く飲むのはウイスキーよりも焼酎が多いです(笑)。芋焼酎のお湯割り等、あとワインも飲みますが、その場の雰囲気で選択しています。アルコールは割と強いですね(笑)。私は仕事の影響で強くなったのではないと思いますが、営業スタッフは取引先のバーを巡回する際どうしても飲む必要が出てくるので必然的に強くなりますね。若くても肝臓の検診は必須です(笑)。技術者の場合は利き酒をする必要がありますが、味や香を見分ける能力は研修を重ねることで向上します。様々な味の傾向を覚える必要があるので、記憶力が大切です。
- 研究・分析により勘や経験で生み出されていたものが、同レベルで再現することができるようになった、とは言え、科学的なアプローチだけで完成するものではなく、分析によって指針が見えるようになったということです。酒造りにはデジタルな思考だけでなくアナログな感覚も不可欠だと改めて思います。
キャリアに寄せる思い

詳細情報
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軽井沢蒸留所
- 1934年、ワインとブランデーを主力事業とする大黒葡萄酒が設立される。その後ウイスキー事業へ参入。1952年、長野県塩尻市にウイスキー蒸留所「塩尻蒸留所」を設立。水質の問題から塩尻での製造に限界を感じ、1955年軽井沢に移転、「軽井沢蒸留所」が誕生する。ウイスキーの売り上げも大きく拡大し、ブランド名であるオーシャンウイスキーから引用して1961年社名をオーシャンに変更。その後三楽酒造株式会社と経営統合する。以後2011年まで運営。キリンホールディングス所有のもと閉鎖される。
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メルシャン株式会社
- 1934年、アルコール・合成清酒製造を主とした昭和酒造株式会社が設立される。その後三楽酒造株式会社に社名変更。ウイスキー製造のオーシャンを買収して三楽オーシャン株式会社、三楽株式会社と社名変更し、1990年メルシャン株式会社となる。専門分野であるワインの他、サワーやカクテル等で人気商品を送り出す。2006年にキリンホールディングスの連結子会社となり、キリングループのワイン事業の中核を担うこととなる。